2002年11月29日

自串/桝谷たけし


(お尋ねマンガ解決済ファイル)

[123] 月下綺譚

bonsoさん,ご無沙汰しております。yoshirです。
昨晩,月がとてもきれいだったので見とれていたら,小学生の頃に読んだマンガを思い出しました。

少年が浜辺(?)で月を眺めていると,魂が身体から抜けだしてしまいます(魂は人間の形をしているので,幽霊みたいな感じです)。少年はあちこちを彷徨うのですが,一定の時間が経つと,身体が魂に戻ろうとして,まるで弾丸のように魂に向かって飛んできます。少年は怖くなって,大木の陰に隠れるのですが,ちょうど木の枝が魂を突き抜けるような状態だったので,飛んできた身体が木の枝にズブリ…というホラーでした。

タイトルも作家名もまったく忘れてしまいましたが,たしか1970年代(前半?)の作品だったのではないかと思います。
ご存じの方がおられたら,ご教示ください。

yoshir 2002/11/20 21:06:15

posted by bonso at 00:00 | Comment(3) | 「少年キング」

2000年02月04日

ジャイアント台風/高森朝雄、辻なおき 3


「ジャイアント馬場誕生」編のエピソードです。
のっけから大スター登場。"金髪の悪魔"ジョニー・バレンタイン。

馬場正平、初のアメリカ遠征。ロサンゼルス、オリンピック・オーデトリアム 〜 対マスクメディックス戦で開眼した必殺16 文キックを引っさげ快進撃を続けるも、"地獄のジェット機"の異名をも持つバレンタインには通じなかった。16文の軸足を払われ、馬場完敗・・!

バレンタイン戦敗北後、ヒルトンホテルの階段をケンケンで駆け上がる馬場の姿があった。バーベル運動、ヘビーバッグの直撃に耐える、そして町を歩く時も、・・馬場は日常生活と練習のすべてを片足でやるようになった。アメリカ遠征の力道山を初めて負かした男=フレッド・アトキンスのコーチの元、目的はいうまでもなく片足で立つバランスの強化だった。

そしてバレンタインとの再戦。前回同様、16文キックに合わせ軸足を払ってきたバレンタインだが、もはやビクともしない馬場。「ノォーッ、ノォーッ」と後ずさるバレンタインを今度こそ16文でとどめを刺し、快勝!

馬場の超巨体に筋金が入った時、日本人を憎むアメリカの観衆さえ、こう叫んだ。
ジャイアント、・・巨人と!

続いて「激闘のニューヨーク」編。"人間発電所"ブルーノ・サンマルチノ登場。

1961年11月。プロレスのひのき舞台ニューヨークへ乗り込んだ馬場。ニューヨークプロレス界を支配する大興行師マクマホン氏の事務所入り口で、えらく体格の逞しい、まずしい身なりの男とすれ違う。後に世界一の怪力男といわれ、"人間発電所"とまで異名をとる、ジャイアント馬場宿命のライバル、ブルーノ・サンマルチノとの、これが初めての出合いであった。

しかしこの時はまだ無名だったサンマルチノとの前座試合をマクマホン氏より命じられ、不満の馬場。ロサンゼルスへ帰る飛行機の手配の電話をかけようとするが、・・そこにマクマホン氏から投げ渡された、真っぷたつに裂けた、ニューヨークの分厚い電話帳!

「ワッハッハハハハ。サンマルチノガ話ヲシナガラ、ホンノイタズラニ、両手デ引キ裂イテイッタノダヨ。ホンノイタズラニネ」
「げえっ!?」

馬場が試合を断るなら、「引き裂かれた電話帳を見て、馬場は無名の新人を恐れて逃げ出した」〜と全米にニュースで流す、と自信満々のマクマホン氏。恥をしのんで涙をのんで、馬場は15分1本勝負の前座試合にサインしたのだった。

試合当日。前座の選手として通路を歩む、馬場の心は暗かった。しかし、その時リング上ではサンマルチノの途方もないデモンストレーションが・・!

鉄の鎖を使い、20人もの観客とサンマルチノとの、力比べの綱引き。うなり声とともに、サンマルチノが鎖を引っ張ると、丸ごとぶっこ抜かれて宙を舞い、リングに飛び込んでいく観客達。
ガーン!(←馬場)

「よめた!! おれは新人サンマルチノを売り出すための道具だ! 奇跡の怪力の新人ににくまれ者の日本人を倒させ人気をあおるために・・マクマホンはおれを選んだのだっ!!」

どっこいそうはいかんぜマクマホンさん。それが間違いだったと今に思い知るだろう・・と、新たに闘志を燃やす馬場。一方、じゃれついて体にぶら下がる観客達を、力こぶひとつではねのけ怪力を見せつけるサンマルチノ。…うーん、燃える。この辺、書いていてだんだん燃えてきたぞ!(笑)。

「しかし恐るべきことはその怪力もだが、それ以上にまずしい境遇から花形レスラーにのしあがろうという執念! マクマホン氏の事務所であったあのときのサンマルチノの姿・・。なんの! おれにもアメリカで一人前のレスラーにならなければ日本の土を踏めないという執念がある! 執念くらべだ。負けん、負けんぞ! おれは!」

試合開始のゴング。サッと馬場の手首をつかむサンマルチノ。

「うっ、つかまれただけで腕がしびれるっ!」

「テアーッ!」
馬場を投げ飛ばすサンマルチノ。
「うう、お・・おれの巨体をこれほどはでに宙にとばす男がこの世にいたのか・・」

続いてサンマルチノ、馬場をリフト・アップ。
「ウウッ、コレコソ発電所・・、人間発電所ダッ!!」
「彼コソソノ名ニフサワシイゾ!」
サンマルチノに対する、驚嘆と賞賛の声を上げるニューヨークの観衆。

"人間発電所! 怪力サンマルチノの世界的に有名なニックネームは、じつにこの一瞬、・・すなわち1961年11月14日、わがジャイアント馬場の超巨体をかつぎあげた瞬間に名づけられたのだ・・(作中より)"

5分過ぎ、サンマルチノの必殺ベア・ハッグ、熊のかかえじめが炸裂!
「せ、背骨のきしむ音が・・ううっ、折れるのは時間の問題」
ミリミリ(←馬場の背骨の音)
「折れたら即死! くそっ 日本男児はただでは死なんぞ!」
サンマルチノの頭部にチョップを叩き込む馬場。
・・背骨が折れるか!? 脳天がくだけるか!?

馬場とサンマルチノ、お互いの執念と意地がぶつかり合い、ベア・ハッグ対チョップの体勢のままで、初対決は15分の時間切れ引き分けとなった。

力を使い果たし、フラフラとマットに倒れこんだ両雄。
「ど、どちらか一方が攻撃をあきらめていたら、もう一方の攻撃がいきおいづいて殺人が起こった・・根性くらべだった・・」
「フフフ、気ニイッタゼ日本ノデカイノ。オマエヲ好キニナレソウダ・・」
「おれもだ。ユーの根性にほれた!」

"あわや殺しあいという場面から友情の誕生とは・・しかし男同士、戦う男だけが知る血ぞめの友情にかわりはなかった!(馬場選手の話。作中より)"

戦い終わって、互いの健闘を称え、どちらが先に世界チャンピオンになるか出世くらべを誓いあう2人であった。

ジャイアント台風/高森朝雄・辻なおき 昭43〜
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ジャイアント台風/高森朝雄、辻なおき 2


前回紹介済みですが、馬場正平「地獄の特訓」は非常に地獄度の高いエピソードなので、もう一度少し詳しくおさらいしでおきましょう。

「なっとらん!!」
バシッ(竹刀で馬場をたたく音)。昭和35('60)年、入門初日の日本プロレス道場で力道山のしごきを受けグロッキーの、馬場正平22歳。
「まさしくウドの大木とはおまえのこっちゃい。そもそも体力よりもまず必死の気迫がたらん!」
「ひ、必死なんです! だ、だからこそこんな目にあっても・・」
「ほほう、・・だいぶ不服そうだな」

ならばこっちへこう!・・と、馬場を呼びつける力道山。シャワー室に連れていかれ、何故か両手、両足に巨大なバーベルを括りつけられ、大の字になって戸惑いの馬場。そしてそこへポンと放り込まれたのは、これまた大きなハチの巣だった・・。
「いいか、カギはかけん。ここまで自力ではいずってくればドアはあく」

チクッ
チクチクッ

「ぐわわわっ」

チクッ

「ぎひっ!!」

いや〜な擬音とともに、ひとり取り残されたシャワー室に響き渡る、馬場の悲鳴!

「死にたくない、・・大の男がこんなばかげたことで・・」
動かせないはずのバーベルを引きずり、死のシャワー室からの脱出に成功した時、馬場は地上最大の荒っぽいスポーツ=プロレスに必要である、"死にもの狂いの力"を体得出来たのだった。

ジャイアント台風/高森朝雄・辻なおき 昭43〜
posted by bonso at 00:00 | Comment(0) | 「少年キング」

2000年01月31日

ジャイアント台風/高森朝雄、辻なおき


" 死にものぐるいの力 " を身につけさせるため、力道山道場入門初日の青年馬場正平はいきなり両手両足にバーベルをくくりつけられ、力道山先生から、ハチの巣と一緒にシャワールームに放り込まれてしまいました(笑)。

・・小学1年の時に読んで、ものすごいインパクトを持ってせまってきたこのエピソードに、いまでは "(笑)" マークがついてしまった。あれから30年の時が過ぎ、私もずいぶんと大人になって、俗世間のアカを身につけたのだなあ(笑)。・・ああいかん、また "(笑)" がついてしまった。

1月31日(月)。今日はプロレスの王者ジャイアント馬場さんの一周忌。

「ジャイアント台風」は、昭和43(' 68)年より週刊少年キング連載の、ジャイアント馬場激闘の半生記。梶原一騎(高森朝雄)原作/辻なおき作画の「タイガーマスク」コンビによる。少年キングを私は幼稚園時から購読していたのだが、「タイガーマスク」が読みたくてこの年から「ぼくら」に乗り換えており、その後に始まった「ジャイアント台風」は、親戚の兄ちゃんの部屋で飛ばし飛ばしに読んだくらい。冒頭のハチの巣の下りは、連載第1回目の、忘れようにも忘れられないエピソードだ(笑)。ああ、また "(笑)" マークがついてしまった。こりゃいかん。

私の故郷大分県では昭和45 〜 46(' 70 〜 71)年頃にUHF チャンネルが開局するまで(それと、受信用のコンバーターを購入・設置するまで)、プロレスの放送は国際プロレスのみだったので、東洋の巨人として名高いジャイアント馬場に接するには「ジャイアント台風」や「タイガーマスク」、その他雑誌の口絵を通じて以外にはなかった。幸なのか不幸なのかは知らないが、・・いやまあ不幸だとまでは思わないけど(笑)。

単行本をまとめて読んだのは大学生になってから。同じ学生下宿の同級生が、キングコミックス全巻を持っていた。その後「ジャイアント台風」には縁のないまま10数年が過ぎ、昨'99 年のジャイアント馬場さんの没後、5月に朝日ソノラマより愛蔵版として復刻された。久々に読んでみると、これがまた実に面白い。

故・梶原一騎先生の原作による、たとえ誰もが認める温厚で誠実な人柄の、あのジャイアント馬場さんの物語といえども、これでもかとばかりに次々と暴走させてしまう荒ぶる魂なエピソードの数々も必見だが、今の時代に読んで特に興味深いのは、ある時はライバルとして、そしてまたある時は友としてジャイアント馬場の前に現れた、伝説の超一流レスラー達の、その豪華絢爛さだ。

…何だかノッてきた(笑)。というわけで次は「ジャイアント馬場の超ゴージャスなライバル達&地獄の猛特訓」の、様々なエピソードを紹介しましょう。

ジャイアント台風/高森朝雄・辻なおき 昭43〜
posted by bonso at 00:00 | Comment(0) | 「少年キング」

1999年06月09日

黄金バット/一峰大二


子供の頃の最初のヒーローは、プロレスの鉄人ルー・テーズと、この「黄金バット」。
「黄金バット」のTV主題歌のレコードが欲しくて欲しくて、ある時熱を出して小学校(幼稚園だったか?)を休んだ時に、母にねだった。パートから帰った母が持ち帰ったものは、主題歌と副主題歌の歌詞をノートの切れ端に書き写したものだった。うちにはレコードプレーヤーが無いから(当事持っている人はまれだった、と思う)ということで・・。ガッカリして泣いてしまったが、いまでは母の愛情に泣けてしまうね。

「黄金バット」が連載されていた「少年キング」は幼稚園〜小学低学年にかけて毎週買ってもらっていた。「黄金バット」以外には、「怪物くん」「怪獣王子」「キックの鬼」「秘密探偵JA」「丹下左善」等があり、当時最強の少年マンガ誌だった。「石森マンガ教室」もたしか2〜3ページずつの連載だった。後年、あるのか無いのか分からないような雑誌になってしまったのはなぜだったのだろう。

藤子不二雄「まんが道」の単行本を20歳くらいの頃に買っていたが、それからほどなく「少年キング」は廃刊になった。

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黄金バットのレコード

黄金バット/一峰大二 昭41(42?)〜
posted by bonso at 00:00 | Comment(2) | 「少年キング」


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